清塚信也 OFFICIAL BLOG: 2010年5月

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2010.05.27

夜とぼく

午前2時半を過ぎると、僕の心は弾む。踊る。
なんだか、誰も知らない秘密基地にこっそり遊びに来たような気分になる。

高揚感は1時間くらい続く。
午前3時半を過ぎると、この時間帯は段々夜空に青みが混ざってきて、
午前4時を過ぎると、もう明るくなってくるのが目に見えてわかる。
そうすると「あぁ、もう終わりか」なんてがっかりするものだ。

僕はとにかく「夜」が好きだ。
どんなに辛い思いをしても、
どんなに苦しい思いをしても、
夜さえあれば僕の心は壊れない。
それくらい夜が好きだ。
夜は僕にとって、完璧な女性のタイプだし、繊細で美しく高貴な音楽だし、
一口食べただけで頬が溶け落ちそうなくらい美味しい食事だ。

そんな大好きな夜が僕に訪れるのは何時も午前2時半頃である。
夜が訪れたばかりの時は「永遠に夜が終わらない」という気がする。
もう、この人は僕のもとを絶対に去っていかないような気になる。
でも、それは1時間もすれば「幻想だったんだ」と思い知らされる。
そして、忌々しい朝日と鳥のさえずりが僕を現実の世界へと引き戻すのだ。

夜は何かに似ている。
美しくて残酷で、傍にいる時は「永遠」を感じさせてくれる。
何に似ているかといえば、それは「人生」だ。
人生は「死」とも言い換える事も出来る。
人間には「自分は死なない」と思う心理がある。
未来は「生」によって作られていると思っているというのだ。
僕にはその気持ちが分かる。
きっと、人にとっての「生」とは、
僕にとっての夜のように美しいのだろう。
だから、死を受け入れずに生きていたい。
でも、それは危険な事だとも僕は思う。
死を感じられなくて何を基準にして生きればいいのだ。
僕はいつでも死というものを基準にして生きているから、とても楽だ。
選択肢に迷う事は殆どない。
死がはっきりしていれば、自分にとって何が大切かなんてすぐ分かると思う。

きっとタイミングが重要なんだと思う。
夜が去り、青という優しさが漆黒の空に帰って来る時、
たまたまそのタイミングで僕の脳のどこかに気怠い眠気が迷い込んできたら、
僕にとってそれ以上の完璧な最期はないと思う。
午前4時をまわったばかりの今、
パソコンのキーに触れてうつらうつらし始めた僕は、
この上ないほどの安らぎを感じています。

おやすみなさい、青い空。

2010.05.20

あのときの公園

 子供の頃の話。
 やっと自転車が乗れるようになった年の6月、ピアノレッスンの帰りに
雨が降っていて、ずぶ濡れで帰らなくてはならないことがあった。ピアノ
の先生の家から僕の家までは自転車で20分くらいあるから「おいおいこれ
じゃあ鞄も楽譜もびしょびしょだぜ」と心配しながらも、心のどこかでは
「はじめての雨サイクリング」にワクワクドキドキしていた。
 先生の家から僕の家のあいだには、小さな川があり、林があり、迷路の
ような裏道があり、「はじめての雨サイクリング」には最高の環境だった。
どうせサイクリングするなら知らない道を行ってみたかったので、いつも
曲がらない所を曲がり、いつもは曲がる所を直進したりしてみる。
 すると、見たこともない不思議な公園に出くわした。その公園は木々が
生い茂る坂道の途中にあって、細長い異様な形をしていた。
 僕は思わず自転車を置いてその公園内を歩いてみる。
 公園の中にある道は舗装もされてなくて、砂利と泥が雨のせいでぐちゃ
ぐちゃになっていた。
 みみずやかえるが沢山いる。
 ブランコや滑り台はとても綺麗で新品のようだ。
 公園の中から見ると、木々が生い茂る坂道も公園の一部のように見えて、
そんな公園の真ん中にあるベンチに座ってみると、僕はこの世の中に一人
だけで取り残されてしまった人間かのような感覚に陥った。
「さみしい」という言葉がぴったりの状況で、辺りを見回すと、みみずも
かえるも生い茂る木々もみんなじっと僕を見ているような気がしてきた。
「おい、ここは人間の来るところではないぞ」そんな風に言われているよ
うだった。
 僕の心臓は恐怖でドクドクいっていたが、僕は勇気を出して「すみません、
自転車を沢山こいだので酷く疲れているんです。少し休ませてくれませんか」
と震える声で断ってみた。

 

 あれから何年経っただろうか?
 ひどく昔の出来事だった気がする。
 でも、今でも雨の日にあの公園で出逢った孤独感のことをよく思い出す。
 二人しか座れない小さなベンチに座り、ずぶ濡れになりながら、みみずや
かえるや木々と対話したとき、僕の乗っていた真新しい自転車はとても不自
然なものにみえた。とても怖かった思い出だけど、今思い出すとなぜかいつ
も自然に口元が緩んで穏やかな顔になっている。
 思えば、今でも僕は一人でバイクや車を運転するとき、あのときのあの感
覚を取り戻そうと知らない道を行っている気がする。

 あの公園は今でもあのときのままにあるのだろうか?
 誰にも会いたくない、何も必要ないと感じてしまうような時、一人ずぶ濡
れになりながらサイクリングをしていると、知らない角を曲がった先にきっ
とあの公園があるはずだと、僕は今でもどこかで心の拠りどころにしている
のかもしれない。

2010.05.16

松本さんあるいは蘭ちゃんとのどんどんぴーぴーグリーグ

昨日(5/14)は、ヴァイオリニストの松本蘭さんとステージをご一緒させて頂きました。
僕が大好きな恵比寿のアートカフェでのコンサートだったのですが、
音も容姿も美しい松本さんにお客さんも大満足しているように少なくとも僕には見えました。

............コンサートの感想文って難しいね。
ここまで書いてもうイヤになりました。
大体、いつも僕は「松本さん」ではなくて「蘭ちゃん」て呼んでるんだけど、
こういう「文字としての公の場」だと、
どう呼んだらいいのかがよく分からないので、
そういうことを色々と考えるのがめんどいです。

まぁとにかく、
昨日は演奏もMCもかなり盛り上がって、とても良かったと勝手に思ってます。
僕は普段「共同作業」というものが好きじゃないし、
「女性」と一緒にデュオコンサートをやるのもあまり得意じゃないのですが、
松本さんあるいは蘭ちゃんは(本人はあまり自覚がなさそうだったけど)、
やはり隣りでヴァイオリンを弾いていても妖精のようにおキレイで、
なかなかこういうのもいいなあと思ってしまいました。
僕もいよいよオヤジになったということだな。

ところで、このコンサートの前半で、
「グリーグのヴァイオリンソナタ第3番」を全楽章演奏したのですが、
ソナタを全部つるっと弾いたのは久しぶりで、
このことに対しても「あぁ、たまにはこういうのもいいなぁ」と思いました。
でも最初、僕はグリーグをやることに反対しました。
だって、めっちゃダサいとこあるんだもーん。

グリーグは1843年にノルウェーに生まれた作曲家で、
クララ・シューマンやショパンに憧れていたというのからも、
彼が「ピアニスト」という職業に憧れていたということが解りますね。
ショパンやクララ・シューマンやリストの出現後、良い曲を作るだけでなく、
それを「卓越した技術で弾きこなす」ということが流行る時代でしたから、
グリーグが「ただの作曲家」ではなく
「かっこいいピアニストとしての作曲家」に憧れるってのも自然なわけです。
グリーグのお母さんは上手なピアニストだったらしいしね。

まぁそこはいいんです。
僕が懸念していたのは、グリーグのもうひとつの特徴である「民族性」の方です。
ショパンは1809年、リストは1810年に生まれてますので、
グリーグとは約30歳差があるわけですが、
きっとただロマンティックで難しいだけの曲なら、
ショパンやリストがその30年の間に
全部やり尽くしちゃった or 優れたものを残しすぎたのだと思うんです。
だから「彼らの残した作品に負けない新しいものを」と思ったグリーグは
民族性というところに目を付けたのでしょう。
もちろん、ショパンも「ポーランド」という民族性はもっているのですが、
ショパンの場合は、作曲家として熟成していくにつれて、
民族性の「臭み」をうまく「除いていった」と僕は感じます。

つまり、ショパンは民族性を隠し味に、
パリという都会の魅力を全面に出した曲を作ったと思うのですが、グリーグは逆です。
敢えて、民族性を全面に出すことによって、
思いっきり「臭み」が出ていて、それがクセになる魅力、という事なんですね。
これはドボルザークやシベリウスなんかにも言える事ですが
(シベリウスはもうちょっと後の生まれだけどね)、
彼らが活躍した時代は、社会的にも「国」や「民族」という概念が強まった時代ですので、
その地域を代表する(象徴する)音楽というものが求められたのです。

つまり、ヨーロッパの音楽業界全体として
「民族性を曲の味付けにする」ことが流行っていた時代なんですが、
当時は新しかったかもしれないけど、今はもう流行じゃないので、
そういう時代背景を知らないで、ただぼーっと聴くと、
ゾッとするほどダサイという感覚に陥る可能性があります。
グリーグのヴァイオリンソナタ第3番にも「それ」があるんですよ。
.........第3楽章に。
まるで「ぴーぴーどんどん」楽しい運動会...みたいな和声とリズム...。
いくらなんでも、ここにきてこのダサさはないだろうってところがね。
もちろん、僕は民族性の魅力は理解できます。
グリーグが「敢えて」そういうダサさを曲に入れ込んだということも
理解していますので、個人的には楽しめます。
しかし、それが今の日本の皆さんにどれだけ求められているかどうか、
という不安材料が僕にはありました。

...と思って、僕はグリーグを演奏することに反対してたんですが、
葉加瀬太郎さんがそれを一蹴。笑
「おまえなぁ、はぁ、まったく、わかってねえなぁ」
............。笑
と僕が言われたその場所に、松本さんあるいは蘭ちゃんも一緒にいて、
「それみたことか」という顔をしていました。
かくてプログラムはグリーグに決定。
でも、やっぱりやってみるとクセになっちゃうから不思議だねえ。
松本さんあるいは蘭ちゃんは、
6月に浜離宮朝日ホールでまたグリーグを披露されるようですので、
ご興味を抱いた方は是非聴きにいってみてください。


5_14.png
【実は、しんくん人形の首を絞めている写真もあるんだけど、それはさすがにね^^】

2010.05.13

言い間違い

僕も舞台でよく言い間違いをするんだけど、
巷にも言い間違いは多く存在している。
昔、友達と「ドラゴンボール」の話しをしていた時、
友達が「ソン・ゴクウ」を「ソン・ゴクン」と言い間違えてしまった時なんかは、
面白すぎて話が全部ふっとんでしまった。
ついこないだは、空港でこんなにおもしろい言い間違いに出逢いました。

「○○行きの航空券をお持ちの○○さま、
 お伝えしたいことがありますので○番カウンターまで、イラッシャイ」

い、いらっしゃい!?
僕は思わず吹き出してしまいました。
その時、空港のロビーにいた人たちは、多分かなりの確率で笑ったと思う。
「みんな、こんだけおもしろいんだから、
 もうこの際、恥じらいを捨てて笑っちゃいましょうよ」
みたいな一体感さえ感じられました。
実際、僕がニヤニヤした顔で隣の人をみたら、
隣りの人もフンと鼻をならして、ちょっと口元をゆるめて僕に笑い返してくれました。
日頃はとてもクールそうな人だったけどね。
それにしても...、チケットカウンターに呼びだされた時、
ちょっとSっぽい女性の感じで
「いらっしゃい」なんて言われたらどきどきしちゃうね。
今でも思い出して笑っちゃいます。

そうそう、言い間違いといえばもうひとつ...。
あれは、僕が中学生の時に受けたピアノコンクールの日。
僕が朝早くから緊張した面持ちで電車に乗っていたら、
車掌さんが案内のアナウンスを言い間違えて、
緊張も吹っ飛ぶくらい笑わせてくれました。

「えー、○○駅を出ますとー、○○駅まではタマリマセン」

中学生ながら、「おいおい、その駅間で何があるんだよ」って思いました。
でも、人生が左右されるような局面で笑わせてくれるような言い間違いは、
けっこう素敵かもね。


nagano.png

【この写真どこから撮ったかわかりますか?
 正解は、コンサートホールの楽屋です。笑
 すげーでしょ、この景色の手前には、写ってないけど
 畑仕事中のおばちゃんがいて情緒的でした。
 ちなみに長野です。なかなかこういうシチュエーションもいいね】

2010.05.08

妄想世界への誘い

僕は一日中家にいられる時は、
夕方から夜にかけて練習や仕事をすることが多いので、
朝や昼は、徐行運転みたいにゆったりとした過ごし方をすることが殆どです。
でも、ゆったりといっても、なーんにも考えないでぼうっとすることは殆どありません。
ゆったりながらも、大抵何か考え事をしています。
考え事というのには「妄想」も入ります。
ベルリオーズは妄想癖があったみたいだけど、
妄想から始まった女優への恋が「結婚」という最高の形になったので、
妄想もしてみるものだなぁと思います。
僕はあんまりロマンティックな妄想はしないけど、
人を見てその人の人生観や、
カップルや友達同士で歩いている人の馴れ初めなんかを考えるのが大好きです。

最近、テラス席でコーヒーを飲んでいたら、
すぐ横に立っている車用の標識がやたらと気になりました。
「駐車禁止」と「30m先、7時~19時まで歩行者専用(自転車は可)」という
意味の標識だと思うんだけど、
この2つの標識のうちの「歩行者専用」の方が僕の妄想の餌食に...。

二人のヒトが手を繋いで歩いている様子なんだけど、
片方は女の子でとても幼い。
どうしてそれが女の子だと判別出来るかと言えば、
それはその子が「リボン」をしているからです。
もちろん、本当は女の子が欲しかった親が、
息子なのに女の子の衣装を着せている...という妄想もしましたが、
それはどう考えても無理があったのでボツに。
まぁ、とりあえず、この女の子の方はいいんです。
問題は隣りの大人。
この大人の得体が知れない。
広めの肩幅、異様な足の短さ、そして変わった髪型...
見ようによっては背の高い女性にも見えるんだけど、
なんとなく中性的な男性を思わせるシルエットです。
どちらともとれるように、わざとなのだろうか。
結局、よく考えた結果、僕の中では中性的なお父さんとして成立しました。
たぶん僕と同じ様な芸術的な仕事をしているんだろうと思う。
でも、僕のように夜活動しているような人ではなく、
朝からちゃんと作業して、お昼ご飯は娘と一緒に食べるのが日課みたいな、
とても健康的な生活をしている芸術家。
髪は猫っ毛で栗色、めがねは縁なし、
セーターを愛用していて夏でも長袖を着る、みたいなイメージかな。
ゆったりと着るのが好きなので、ベルトは勿論しないし、服のサイズも大きめ。
何にも縛られることなく、自分のテリトリーの中で自分のルールだけで過ごしている。
と、ここで僕の心に沸いてくる疑問が。

   お母さんはどうした?

お母さんは娘のお産で...なんて暗いからやめた。
きっとお母さんはとても忙しいキャリアウーマンなのかもしれない。
うーん、出版社とか新聞や雑誌の記者とかそういう感じにしよう。
なにしろニュースがネタなので休みでも家を留守にしがち。
でも、娘はとても幸せだった。
なぜなら、すごく賢明で面白いお父さんといつも一緒にいられるからだ。
お父さんはいつも食事のあとにデザートを別の店で食べさせてくれるし、
幼いながらもちゃんと「レディー」として私のことを扱ってくれる...。

......なんて、標識からこんな妄想をしては、
勉強したり読書したりする僕の徐行運転的なお昼の過ごし方。

いかがですか、あなたも妄想の世界にいらっしゃい...。
それでは、おやすみ日本のみんな。
明日は小倉(九州)に「新幹線で」行きます。
うわぁ~妄想したい放題だぜ。

hyousiki.png
【問題の標識。
 妄想をしていて、ハッと気付いたら夕方だったときなんて、
 もちろん虚無感を感じます。
 おいおい、俺の人生は妄想で終わるのかよ.........なんてね】

2010.05.04

関越の旅〜上信越編〜

関越を使って長野方面に行くには、
上里SAの後で出てくる藤岡JCTで「上信越自動車道」方面に行く。
この「上信越自動車道」の中で面白い名前のICといえば、
それはもう「碓氷軽井沢」でしょう。
「碓氷」と書いて「うすい」と読むのだけど、最初は読めなかった。
「氷」と付くからなんだかキンキンに冷えてる土地みたいだね。
マリオにも必ず「氷ワールド」があるから、
僕はいつもこの出口に差し掛かるとそういう「氷の世界」的な想像をしてしまう。
あと、どこかで「氷結○○」みたいな缶チューハイ的な想像もします...。

さてさて、暖かくなってきましたね。
ほんとに、日本の四季は「楽章やヴァリエーションが変わるように」
はっきりとニュアンスが変わって美しいですね。
ここ何日かお昼を公園やスタバのテラス席などで過ごしたのですが、GWっていいもんだね。
色んな家族模様が観れて、なんだか心が温まりました。
もちろん、それぞれに色々と家庭内事情はあるんだろうけど、
公園でお父さんとキャッチボールしたり、
お母さんと娘が手を繋いで買い物に行く姿なんかは、
幸せを象徴するかのようでした。

それではみなさん、残り少ないですが、よいGWを。
車の人はくれぐれも、くれぐれも、くれぐれーもー、事故に気をつけて。
僕は、長野あたりまで長距離運転したりすると、
「こんなに良い環境なのに、事故ったら全てが台無しだな」って思って
背筋がゾワっとすることがあります。


USUI.png

【降りてみようか...といつも迷います】