清塚信也 OFFICIAL BLOG: 2010年8月

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2010.08.10

携帯通話の件

僕のコンサートで、客席で携帯電話が鳴ることは結構あります。
一番思い出深い体験といえば...
「展覧会の絵」のカタコンベを弾いてる最中に
「ミッキーマウスマーチ」で応戦された事でしょうか......。
その時は怒ると言うより、笑いを堪えるのが大変でした。

時代の発展と共に新たな公害も生まれる。
携帯の着信音や通話する事による被害は、まさに新たなる公害だと思うのですが、
こないだ新幹線に乗っている時にその事をちょっと考えていたら面白かったので書きます。

「車内での携帯電話のご使用は、
 電源をOFFにするかマナーモードにてご使用下さい。
 車内での通話はデッキにてお願い致します」

なるほど。
車内では携帯に関する一切の音を禁止しているわけか。
でもメールするときボタンを押す音がするし、
マナーモードにしてもバイブレーションの音がするかもしれないけど、それはいいのか?
まぁそれくらいは許される範囲なんだろう。

着信音を無くして、通話はデッキで。
これを守ればいいんだな。
でも、なんで車内の中での会話は許されて通話はいけないんだろう?
車内の会話より小さな声で通話すればいいじゃないか。
でも、自分が乗ってる時、
車内の会話レベルより低い音量で通話している人がいたとしても、むかつくなぁ。
なんでだろう?

それを考えてたら面白かった。
「携帯はうるさいからだめなんじゃなくて、
 公共の場で音を出して使うという行為がだめ」なんだ。
新幹線の車内には「社会」がある。
その車両にいる人たちだけで創り上げた社会だ。
だから、その車内にいる人同士が
会話などで適度な音を出すのには我慢出来るけれど、
車内にいない人との交信による音は認められない。

車内での携帯通話はなんでいけないの?
と子供から訊かれたら「うるさいからよ」と答えてはいけません。
「ここにいない人としゃべろうとするからいけないのよ」と教えてあげなきゃ。

ところで、
僕がロシア留学中に観た向こうのTV-CMなのですが、
ちょっと面白かったので書いときます。

 列車はアルプスのような大自然の谷間を抜けている。
 車内ではモデル体型で髪の長いとても美しい若い女性が
 その美しい光景にうっとりしている。
 いや、うっとりしているのは彼女だけではない。
 他にいる客も老若男女問わず皆が感動している。
 そこに携帯の着信音が。
 何とも優雅な仕草でバックから携帯を取り出す女性。
 「ピ」というプッシュ音と共に車内で堂々と通話をする女性。
 「ハーイハニィ、私が今どこで通話しているかわかる?」
 その声を聴いて車内の乗客は皆一斉に女性を見る。
 そして、皆一斉に、ほれぼれとした表情に変わる。
 「なんて素晴らしい携帯なんだ」と言わんばかりに...。

つまり、ロシアでは携帯のルールが違うのですね。
ロシアだけじゃない。
スイスに行った時もそうだった。
向こうでは車内で通話してはいけないというルールは無いようです。
それどころか、CMで、
「この携帯は山間を抜ける列車の車内でもスムーズに使えます」というのを売りにするのです。
いやー、ちがうねー、習慣って。

でも、スイスで友達になったスイス人に
「日本ではバスの中では通話しちゃいけないんだ」と教えてあげたら、
「えーほんとに!?それって良いルールだね!!」って言ってましたから、
やっぱりイヤと言えばイヤなんだろうな。



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前にも書きましたが、トリオのサイン会でもルールの大切さを痛感しました。
自分のCDじゃないのにサインをするべきか。うん、難しい問題だ。
でも、落としどころはいつもあります。
トリオのCDを早く作っちゃえばいいんです。
でも、それだけじゃ万事解決とはいかないね。
難しい、でも面白い。
ジレンマやパラドックスって実に美しい。





2010.08.09

自由万歳!

僕は「自由」ということを常に重要に思って生きている。
「僕はいま自由なのだろうか?」
どんな決断をする時も、この質問を僕は自分自身に問い掛ける。
そうやって「自由」を考え始めたのはいつ頃だったろうか...。
結構長い道のりだった気がする。
おかげで、やっと「僕にとっての自由」というものが見えてきた。

「自由」とは、
「平等」「名誉」という2人の仲間を連れた「権利」のことだと僕は思う。
自分は平等に扱われているか。
自分の尊厳は守られているか。
この二つの課題をクリアした上で、
選べる選択肢があればあるほど、その人は自由なのではないか。

と、まぁ、ちょっとこんな事を一瞬考えた猛暑日でした。
明日、「はなまるマーケット」と「徹子の部屋」に、
「誰でもピカソ」以来親しくさせてもらっている
ダンサーのTAKAHIROさんが出演されるようですので、
お時間のある方は是非ご覧ください。



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「Super Trio 3℃」のリリスでのコンサートでは、
いつも「仮眠部屋」なるものがあります。
1人1部屋の楽屋があって、なおかつ仮眠部屋まで。
豪華ですけど、これ石田さん専用じゃね!?
って感じで、なかなか面白いです。

2010.08.05

間奏曲

「間奏曲のようだ」と思った。
大阪からコンサートを終えて新幹線で帰ってくる。
大阪を出たときはまだ太陽が沈む直前で、
辺りには黄金色の光が降り注いでいたけれど、
新横浜に着いたときにはもう夜が訪れていて、すっかり街は眠り支度をしていた。
東海道新幹線を使って帰京するときは、名古屋を過ぎてからがとても長く感じられる。
これは車で名古屋方面に行っても同じなのだけど、とにかく静岡が長いんだ。

名古屋を過ぎてからはいつまでも静岡が続く。
だから、名古屋の次の駅の新横浜(のぞみで行くとね)に着くと、
「やれやれようやく帰って来れた」という気持ちになる。
そして下車の支度をソワソワとする。
新横浜の次は品川。
僕は品川駅を新幹線が出発したら、その直後には、
もう席を立って誰もいない(大抵いない)デッキに独りで立ち、
流れる東京の景色を眺めるのが好きだ。

品川から東京までの景色にはぎっしりと思い出が詰まっている。
学生の頃、レッスンに行った時のことや
チャンスを掴むために誰かに会いにいったりして、
この東京という都を必死に駆け回っていたのを思い出す。
この品川から東京に行くまでのデッキでの時間はとても不思議で、
何故かその思い出の中にいる若かりし僕が、すぐそこにいる気がしてくるのだ。
ほら、目をこらして見ると、昔の僕がせっせと走り回っている。
僕はそんな昔の僕を見て、切ないような気持ちになる。

東京で降りてから自分の車に乗り換えて帰路につく。
東京タワーは夜の都にただ一色だけの色づけをして自らを主張している。
休みの日の夜だからか、車はいつもより少ない。
深夜バスやタクシーなんかと時々すれ違う。
僕は車の中にマーラーの交響曲第5番のアダージェットを流してみる。
中学生の頃、僕は「一体自分は誰なんだろう?」という
不安みたいな感情を抱きながら、いつもアダージェット聴いていた。
何度も繰り返し繰り返し。
ハープの深い「F」の音は、
夜空でもくもくとした雲に優しく抱かれている三日月のようだった。
赤信号で停まったとき、ふと外の景色をみてみる。
「あれ、こんな所に家が建ったんだ」
「ここの信号新しくなったな」
...そんな何でもない事でもなんだか切なく感じてしまう。
これを感傷的というのだろうか?
感傷的とか切ないとか、
何だか「傷」とか「切る」とかっていう言葉を使われると、
本当に心を短くて鋭いナイフで浅く傷つけられているような気分になる。

切ない。
それは悲しいとは全然違う。
悲観しているわけじゃない。
むしろ、人生はなんて美しいんだろうって感動しているんだ。
「間奏曲みたいだ」と僕は思った。
オペラに出てくる間奏曲はどうしてあんなに美しいんだろう。
その美しさは曲の力だけではないと僕は思う。
あれは、「間」という束の間のひとときを美しく感じるのだと思う。
僕は街にそういう刹那的な美しさを見出す事がある。
まるで、間奏曲を聴いているような、あの感覚をそこに感じる事が、ある。


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