死ぬ程ダサイ
僕は子供の頃いじめられっこだった。
どんないじめにも「主犯」がいる。
そいつは殆ど人間とは思えないような残酷な事を平気でやれる。
ある日、母親同士が仲良しで(僕がそいつにいじめられてる事は親同士知らない)、
そいつの家にたまたま遊びに行った。
親同士が楽しく話すために僕はそいつの部屋に二人きりにさせられた。
しかし、その時のそいつの対応が実に興味深かった。
「普段、いじめなんか何も無かったかのように」、
僕に新しいゲームをやらせてくれたり、
おいしいポテチなんかを一緒に頬張る。
個人として相手をすると、普段どんなに凶悪に見えるやつでも、
とっても親切なんだという事がわかった。
しかも、親同士が仲良しだという共通点を持っていると、
仲間意識さえ感じてくれてるらしい。
いじめの原因、その責任、元凶はどこにあるんだろ。
誰が悪いの?
勿論、虐めるヤツだと思ってた。
でも、性善説じゃないけど、人は生まれながらにして悪者じゃない。
個人として悪い人なんて今まで会った事ない。
それじゃあ残るは一つだ。
「団体」「群れ」としての人間の性質だ。
きっと群れには人の心を狭くさせる勇気がある。
これは気をつけなきゃならない。
何より、無意識だからだ。
無意識に人に残酷な事が出来る集団心理。
これを知らずにやってしまうと後々一人に戻った時に何かを失っている。
もしくは、誰かの何かを著しく損害している。
集団になればなるほど(多人数になればなるほど)、
人は「責任の所在」を明かさないでいられる。
これが更に自らの言動の重大さを感じさせない麻薬効果となっている。
それも含めて、集団になり群れるという事は人にとって快感を及ばせる。
ひとこと。
集団だろうが孤独だろうが、自分を見失うヤツは死ぬ程ダサイ。










