ピアノさえそばにあれば、僕は大丈夫。
お客からブーイングされてもクレームつけられても、
誰かから陰口言われたってまったく動じない。
だって、僕はそれ以上何も出来ないんだ、
何言われてもやるしかないでしょうに。
そういう、背水の陣の時に出てくるあの不思議な強気が、
ピアノがそばにあるだけで僕には湧いてくる。
ステージは大体短くて1時間、長くて2時間半くらいかな。
前半は、やっと自分を表現出来たという安心感に浸って、
じっくりと鍵盤ひとつひとつと会話するように弾く。
僕と鍵盤が楽しく話し始めると、お客さんもそこに入ってきてくれる。
それで、後半になって気づけば、とても多くの人と僕は話が出来ている。
僕は有頂天になる。
もしかしたら、僕は社会の中に入って行けるかもしれない。
最後はもう何も覚えてないくらい熱くなる。
それで、自分の力以上のものを出して、
話に参加してくれる人すべてと渡り合おうとする。
その時、僕は幸福ではなく、もはや快楽を味わっている。
本当に、死んでもいいとさえ思う。
いや、もしかしたら、どうせいつか死ぬなら、
今、この絶頂の時に死にたいとさえ思う。
でも、必ず終わりはやってくる。
全てのメロディに終わりがあるように。
僕はまた独りになる。
ピアノは、もう何も語ってくれない。
ロビーでのサイン会が終わってステージ上のピアノを見に来ると、
もうピアノはただの置物になっている。
引っ越し屋さんかなにかのように、
スタッフがそれにカバーをかけてどこかへ引きずっていく。
まるで、棺桶のようだと僕は思う。
僕は今まで誰と会話していたのだろう?
あの、巨大な棺桶と語り合っていたのだろうか。
所詮、僕の感じていた快楽は、
マッチ売りの少女がみた夢物語のようなものなのだろうか。
僕の思考は凍結していく。
誰かにスイッチを抜かれた機械のように、ぱたりと、その働きを止める。
僕は、沖縄の街を歩いた。
雨が降り、少し霧がかっている。
カップル、海外からの旅行者、米軍、色々な人が歩いている。
僕はどこに向かっているのだろう?
目的地はない。
でも、歩みは止まらない。
歩く理由もなければ、止まる理由もない。
マクドナルドやコンビニの数を数えたり、
時々目の中に入ろうとする雨粒に驚いたり。
途中、何かを携帯電話の相手に叫んでいるサラリーマン風の男がいた。
「わかっちゃいるけどやめられない、わかっちゃいるけどやめられない...」
ずっとそれを繰り返していた。
僕は少し笑った。
でも、心から面白いと思ってなんかいない。
僕の心は孤独に支配されている。
そして、僕は気づく。
僕はやっぱり社会に入っていたわけじゃないのだと。
そして、ピアノをそばに置いた僕は、本当の僕ではないのだと。
全てが夢だったかのように、記憶が残像でしか浮かんでこない。
さっきまで、あんなにリアルにピアノを弾いていたのに、
僕にはその記憶が殆ど不鮮明にしか、断片的にしか浮かんでこない。
何だったんだろう、一体僕は誰なんだろう。
雨の沖縄を、抜け殻の僕が歩く。
涙は出ない。
しかし、心の中で涙が溢れているのがわかる。
僕は目を瞑る。
暫くして、ゆっくりと目を開ける。
呼吸をする。
肩から力を抜く。
また、ゆっくりと目を瞑る。
そして自分の体内にある暗い海をみつける。
暗い海に反射する孤独な月をみつける。
僕は崖の上にたった一人で立っている。
誰も助けてくれない事を知っている。
そして、もう一つ重要な事を知っている。
僕は、とても幸せだ。








